おかわりください

観劇したりイベントにいったりの記録です。基本的に自分メモ

さよならの季節

推しが引退してしまった…といっても若手俳優でもアイドルでもなくスポーツ選手の推しのことです。
少し、今思っている事をつらつらと書きます。

スポーツ選手の選手生命というのは本当に短い物で特に野球サッカーのようなメジャーなものではないとなかなか生計を立てられないという現実的な事がついてまわるのでそれだけで食べていく人は少ないし皆それぞれにセカンドキャリアを形成していきます。私の応援してたひとはきちんとしたお金をもらっていた方だと思う。
本人はそこに対してプライドを持っている人だった。今よりまだ若かった頃はそのプライドがちょっと邪魔をしていて所謂ファンサービスをよしとしない人だった。
サービス精神自体はとてもあるから仕事としてする上ではきちんとするし対応も悪くないけれど本質的に自分はプロの選手なのだという事が一番最初にあったので出待ち入り待ちに対する対応が他の人に比べて素っ気なかったと思う。
でもそれはそういうものだと思うし何よりも試合での結果が全てだという人だった。でも伝わりにくいから大丈夫かなーと心配していた位には私は古参だった。
本人もことある事に言っているが彼が変わったのは東日本大震災の後だ。
忘れようにも忘れられないあの震災の時、スポーツ選手という娯楽の部分としての存在を担う立場の人たちはとても弱かった。野球やサッカーという大きなスポンサー母体がいるところならばいい。でもそうじゃなかった私たちの球団は活動休止を余儀なくされた。そうだよね、そうなるよね、と代表が目を真っ赤にしながら開いた記者会見を見ながら思ったのを覚えている。あの年のチームはとてもよくて優勝が狙える位置にいたのだから悔しさもあるし、何よりそうせざる得なかった代表の気持ちがつらすぎて泣いてしまったのを思い出した。
チームはシーズンシートを払い戻すと言った。試合が無くなってしまったからそれはごく当然の措置であったけれど、応援しているファンの中には「払い戻さずにそれをそのままチームのために使って欲しい。少しでもいいから役に立ちたい」と払い戻さなかった人たちもいた。私の持っていたシーズンシートもそうした。
そんな中選手たちにはシーズン途中での解散が告げられた。つまり、無職になった。
リーグの救済によってもう移籍できる時期では無かったけれど残りの契約を引き受けるという条件のもとにそれぞれのチームに期間限定の移籍をすることになった。
その際信じられない事を聞いた。直接選手たちに、見える場所で「捨てていくの?自分達だけ安全な場所に行くの?」というような言葉がいくつも投げかけられた。あまりに驚き過ぎて何も言えなくて、無職になってしまった事を知らないのだろうか…とすごく苦しくなった。あれは震災の時の色んな気持ちの揺らぎがそうさせたのかもしれないと少し時間が経過してから思えるようになったけれどあの時から私はネットの不特定多数の人が言う事を信じなくなった。自分が知っている事、自分が信頼している人の言葉以外で傷つくことはしないと、変な所で経験値が上がった。
震災の後、チームは復活したけれど同じチームには戻れなかった。前にも書いたけれどプロチームは毎シーズンキャスト変更。
全く同じ布陣でということは殆どない。
実際推しも移籍を決意したことがあるのを知っている。
それでも彼を踏みとどまらせたのは震災の経験だった。
自分の事だけではなくて地域のためにプレーをすると決めてから、本当に柔らかくなった。

結果的に彼が引退をすると決めたこのシーズンまでの間で、震災の時の事を知っているのは彼だけになった。年齢も上がってベテランと言われるようになった彼は目に見えて柔らかくなった。試合中の厳しさは変わらないし誰よりも走る、誰よりも動く、どこにでも突っ込んでいくのは相変わらずで大きい怪我、戦線を離脱するような怪我はないものの、毎シーズンどこかしらに怪我をしたり顔を切ったりしていた。それでも最後まで試合に出る事を望み、最後まであきらめないひとだった。
今シーズン限りの現役引退を発表してから、チームは彼に相応しい花道を作ってくれた。地下鉄には引退シリーズのポスターが貼られ、会場では記念グッズが売られ、今までのディスコグラフィのようなミュージアムが作られ、縁がある人達からのメッセージが流された。それを見るだけで泣けてしまったし、こんなに愛される選手だったんだとめそめそしてしまった。
引退発表から初めての試合では試合を決める得点を叩きだして「本当に引退するの?」と終わってから皆そう言っていた。今からでもいい、撤回してという声を沢山聴いた。同時にあちこちに居るかって一緒に戦ったひとたちが見に来てくれた。一番遠い人はブラジルからで、嘘でしょってびっくりしたけどそれだけ愛されるひとだったのだ。
ホーム最後の試合は負けてしまったけれど、その日思いもかけないものを見た。試合後に選手がコートを一周してハイタッチをするサービスがあるけれど、一番前に来ないと当然出来ない。2列目3列目になった人には手を振ってありがとー!とするのが通常だった。でもその日はもう最後だと知っている観客がいつもの倍以上コートサイドにおしかけた。それに彼は一人ずつに丁寧に応えて回っていた。すごい光景だった。あちこちで抱き合って、泣いている人もいた。ありがとうって言葉が何回も何回も聞こえた。
もう他の選手は引き上げてからもずっとずっとコートまで来れない人の所まで行って今までの感謝の気持ちを伝えていたのを見て、その日の試合中から堪え切れなかったものがまたぽろぽろと零れてしまって本当に本当に最後なんだな、ってその時初めて実感した。
その時点で試合はまだ残っていたけれど私が実際に見るのは最後の日で、向こうもそれを知っていた。こちらに来てくれた時自分がどんな顔をしていたのか分からない。
この日が来るまでに何ていおう、何を言おうって推しと孫の接触よりずっとずっと考えていても答えは出なかったしぎゅーーーっとハグされて「ありがとうね」って言われた瞬間にこんなに泣けるのかってくらい泣いてしまった。
お疲れ様、ありがとう、最後まで走って。
そんな事を言った気がする。
引退を発表してから「悔いはない」と繰り返し言っていた人の言葉に嘘がない事を知っているからこそ最後まで、あと少しだけ最後まで走ってと言った。それが大好きだったからだ。
それからもうひとつ言った。最後のホームは大好きな推し箱では無かった、それが少し残念だなと思ったりもしていたけれど結果としては大正解だった。
本当に本当に長い間その会場で彼は試合をしていたからだ。一番古い記憶になるともう20年位昔の話。だから「この会場で良かった」そう言ったらそうだね、と返されてやっぱり泣いてしまった。
引退を発表してからどの試合でも相手チームからも応援してる人達からも彼に対してのメッセージを見せてくれていた。最後の試合もそうだった。そして終わってからも連日のようにインタビューやら特集が組まれていてこんな風に愛されるひとだったことを改めて実感して拍手を送りたい気持ちでいっぱいになっている。

きっと本当に淋しくなるのは次のシーズンにもうユニフォームを着て走る姿がない事を見た時だ。
いつかは来る時だと思っていたものが来てしまっただけの話。
突然お知らせではなくお別れするための機会もきちんと作ってくれたという恵まれた話。
それでもやっぱりさびしい気持ちはある。
どんな世界にいても「ずっと」とか「永遠に」というのは無いのだから、その時に後悔がないように自分の気持ちに真っ直ぐに見たいものを見ていこう、って改めて思った春でした。
ずーっとずっとわたしの一番だったし、これからもそうだよ。
本当に本当にありがとう。